詩篇8篇
指揮者のために。ギテトの調べにのせて。ダビデの賛歌。
8:1 主よ私たちの主よあなたの御名は全地にわたりなんと力に満ちていることでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。
ダビデが心に留めていたのは、主の御名が現されることです。彼は、主の力ある御名が全地に満ちているのを見ました。
さらに、彼は天でその御名が讃えられているのを見ました。その御名は威光に満ちていました。
8:2 幼子たち乳飲み子たちの口を通してあなたは御力を打ち立てられました。あなたに敵対する者に応えるため復讐する敵を鎮めるために。
主がその御名を現される方法は、乳飲み子や幼子の口を通して力を打ち立てることです。彼らは、純粋に信じたことを口にしました。そうして、預言が実現したのです。
主イエス様の御在世当時、不信仰な者たちに対して、子どもたちが主を賛美したことで、反対者たちが正しくない者として打ち砕かれたのです。
マタイ
21:15 ところが祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさったいろいろな驚くべきことを見て、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを見て腹を立て、
21:16 イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞いていますか。」イエスは言われた。「聞いています。『幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、あなたは誉れを打ち立てられました』とあるのを、あなたがたは読んだことがないのですか。」
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主は、御言葉によって、その語られた通りを実現することで栄光を現されます。神様が示されたことを正し受け入れることができない指導者は、祝福を逃したのです。
8:3 あなたの指のわざであるあなたの天あなたが整えられた月や星を見るに
8:4 人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。
その御力の偉大さは、天に整えられたものを見るときに知ることができます。しかし、神様の偉大さは創造の業に比べられない小さいものを心に留められたことです。人を顧みられるこでその偉大さを現されます。
神の言葉を信じた者に対して、これを顧みられます。それは、遠くから顧みられるのではなく、その契約を徹底的に果たされます。この契約のもたらすものは、六節以降に語られている人に栄光と誉の冠を被らせ、全世界を支配させることです。その祝福を最大限に受けるために、顧みられるのです。
今日、神様は、人が神の御心を行うことに対して、報いを永遠の資産として与えられます。キリストと共に支配者となるのです。そのために、全能の神が働かれ、御霊が働かれ、イエス様が働かれます。これ以上ない顧みを与えられるのです。
8:5 あなたは人を御使いよりわずかに欠けがあるものとしこれに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。
人は、御使いよりも少し低い者とされ人の栄光と誉を与えました。
・「欠けがある」→「低くする」
8:6 あなたの御手のわざを人に治めさせ万物を彼の足の下に置かれました。
その栄光と誉は、地を治めることです。万物を人の足の下に置かれました。
このことは、イエス様に関する預言になっています。人は、今、万物を足の下には従わせてはいません。それは、将来実現することです。その先駆けとしてイエス様が人となられておいでになられたのです。それは、先導者として、死を味わうためです。信仰者も同じように、自分を捨てて歩むことで、栄光と誉を受けることを示すためです。
ヘブル
2:6 ある箇所で、ある人がこう証ししています。「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたがこれを顧みてくださるとは。
2:7 あなたは、人を御使いよりもわずかの間低いものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせ、
2:8 万物を彼の足の下に置かれました。」神は、万物を人の下に置かれたとき、彼に従わないものを何も残されませんでした。それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません。
2:9 ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
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8:7 羊も牛もすべてまた野の獣も
8:8 空の鳥海の魚海路を通うものも。
8:9 主よ私たちの主よあなたの御名は全地にわたりなんと力に満ちていることでしょう。
主の御名が力に満ちていることが、幼子の口の言葉からはじめて、全地を人に治めさせたことに及んでいます。それは、全てが主イエス様の支配のもとに置かれる預言になっていて、主イエス様のもとにあって人は全世界を支配する者になります。そのようにして、主は、力に満ちた栄光を現されます。